また、奉行所を取り囲むように五稜郭内に配置された付属建物、五稜郭北側の役宅の区画割りなども解明されました。「箱館亀田一円切絵図」に現在の地図を重ねると、住宅区画・道路・松林(風致保安林)など、わずかに現存している五稜郭周辺の痕跡と重なり、絵図面の精度の高さがわかります。 |
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(18)箱館亀田一円切絵図(部分)天地逆 |
復元の決め手となった古写真
箱館奉行所を復元するにあたり、重要な役割を果たした資料のひとつに古写真があります。
パリの骨董店で見つかった手札サイズの古写真は、裏に「二条御城」と書かれていましたが、調査により慶応4(明治元=1868)年ころに撮影された箱館奉行所の写真と判明。解像度の高い画像で、屋根瓦の枚数を数えることができました。五稜郭から出土した当時の瓦の大きさと古写真から読み取った瓦の枚数から、奉行所の正確な大きさを算出することができました。
また、写真は奉行所正面の南西側ほぼ斜め45度から撮影されており、透視図法の手法を応用した写真解析により、精密な設計を行うことができました。平面図や文献資料だけでは、奉行所の大きさ・高さ、例えば軒の反り具合や懸魚の意匠などを詳細に復元することができなかったはずです。これは北海道における写真発祥の地である函館らしいエピソードと言えるでしょう。 |
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(19)箱館奉行所庁舎古写真 |
全体の1/3規模の復元へ
箱館奉行所は、かつてと同じ場所に復元されています。つまり、建物の真下には、当時の遺構が残っているわけです。特別史跡である五稜郭では、土地を改変することが原則認められていません。そのため、遺構を保護した上に厚さ25センチメートルのコンクリート耐圧版を敷き、それを基礎としています。
箱館奉行所の復元は、五稜郭の史跡としての整備であることから、歴史的資料に基づいた復元を行わなければなりません。つまりいい加減な復元はできないのです。
また、完成後は内部を公開することから、建築基準法・消防法に適合した建物とする必要もありました。
そのため、古写真に写っている建物正面を中心とした範囲で、建物全体の1/3となる1,000平方メートルを復元することになりました。
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