箱館奉行所 公式ウェブサイト
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奉行所について

「140年の時を超えて 今ここに甦る」箱館奉行所

竣工当時の箱館奉行所 箱館奉行所は、日本の北辺防備の拠点として設置された江戸幕府の役所です。
当初は箱館山の麓に置かれましたが、内陸の地に移転が計画され、その外堀となる五稜郭と共に1864年(元治元年)に完成しました。
1868年(明治元年)戊辰戦争最後の戦いとなる箱館戦争の舞台となり、旧幕府脱走軍降伏2年後の1871年(明治4年)に解体されました。
地上に存在した期間はわずか7年。
2010年(平成22年)、可能な限り建築当時の材料・工法を使用し、庁舎の1/3の規模を復元。幕末から明治維新にかけてのピンと張りつめた時代の空気が感じられる貴重な歴史遺産の空間です。

箱館奉行所の役割
幕末の黒船来航により、下田と箱館の開港が決定し、箱館は日本の北の玄関口となりました。二度にわたって設置された箱館奉行所は、どんな役割を担っていたのでしょうか。
五稜郭と箱館奉行所
蝦夷地の象徴、日本の威信、新時代への予感。五稜郭と箱館奉行所は、海外列強とのせめぎあいの地となった開港地ならではの存在でした。
箱館戦争の7か月
明治維新。箱館奉行所と五稜郭は、幕府から明治政府へと引き継がれました。そして戊辰戦争、その終結としての箱館戦争へ。この地で展開された最終章です。
その後の五稜郭
役目を終えて解体された箱館奉行所。しかし、その後も五稜郭はこの街のシンボルとして存在してきました。函館に暮らす人びとが見つめてきた原風景をたどります。
箱館奉行所の復元
五稜郭の築造からおよそ150年。わずか7年で解体されてから、約140年ぶりに蘇った箱館奉行所。20年以上におよぶ復元への歩みをふりかえります。
五稜郭跡内の建物遺構配置図
※クリックで拡大されます。

使用した図面・写真の所蔵元
函館市中央図書館 (1)(2)(3)(5)(7)(9)(11)(17)(18)(19)
市立函館博物館 (4)(6)(8)(10)
函館市教育委員会 (15)(16)

五稜郭と箱館奉行所の略年表

西暦(年号)
事柄
1793(寛政5)
根室に来航したロシア船エカテリーナ号(ラクスマン)が箱館に入港し、福山で通商交渉を行う。
1802(享和2)
蝦夷奉行が箱館に設置される。
1803(享和3)
奉行所が完成する(現在の元町公園付近)。
1807(文化4)
蝦夷地が幕府の直轄地となり、松前藩は梁川(現在の福島県梁川町)に転封される。
1811(文化8)
国後島でロシア船ディアナ号船長ゴロウニンを拿捕して松前・箱館等で監禁し、交渉を経て1813年高田屋嘉兵衛と交換で解放する。
1821(文政4)
松前藩が蝦夷地に復領する。
1833(天保4)
高田屋がロシア船との密約発覚により蝦夷地から追放される。
1853(嘉永6)
アメリカ東インド艦隊(ペリー提督)が浦賀沖に現れ、大統領親書を渡して離日する。
ロシア使節プチャーチンが長崎に来航するが、交渉開始前に離日する。
1854(嘉永7)
幕府が日米和親条約を締結する(下田・箱館の開港を決定)。<3月3日>
ペリー艦隊が箱館港に入港する(港内測量等を行う)。<4月15日>
箱館5〜6里四方が幕府直轄地となる。
箱館奉行所が再び設置される(箱館奉行:竹内保徳)。<6月30日>
ロシア使節プチャーチンが箱館に入港し、浄玄寺で会談する。
1855(安政2)
松前藩の領地を除く蝦夷地全域が幕府直轄地となる。
箱館を開港する。<3月1日>
1856(安政3)
箱館奉行が諸術調所を設置し、武田斐三郎を教授役に任ずる。
弁天岬台場築造に着工する(設計:武田斐三郎)。
1857(安政4)
五稜郭築造に着工する(設計:武田斐三郎)。
1859(安政6)
箱館でアメリカ・イギリス・ロシア・オランダ・フランス5か国との貿易を開始する。<6月>
1860(万延1)
五稜郭北側外の役宅工事に着工する。
弁天岬台場の石垣工事が終了する。
1861(文久1)
ロシア軍艦ディアナ号の大砲24門の弁天岬台場配備を決定する。
1862(文久2)
五稜郭内の御役所(奉行所)工事に着工する。
1864(元治1)
御役所の工事が終了する。
箱館奉行小出秀実が五稜郭で事務取扱を開始する。<6月15日>
弁天岬台場の工事が終了する。
1866(慶応2)
五稜郭関連の工事が終了する。
1868(慶応4)
箱館奉行杉浦誠が新政府の清水谷公考に事務を引継ぐ。<閏4月26日>
箱館裁判所(箱館府)が五稜郭に開庁する。<5月1日>
(明治1)
旧幕府脱走軍が五稜郭を占領する。<10月26日>
1869(明治2)
旧幕府脱走軍が五稜郭を明け渡す。<5月18日>
1871(明治4)
五稜郭内の建物の大半が解体される。
1896(明治29)
港湾改良工事により弁天岬台場が埋め立てられる。
1914(大正3)
五稜郭が公園として一般市民に開放される。<6月13日>
1922(大正11)
五稜郭が国の史跡に指定される。<10月12日>
1929(昭和4)
五稜郭外(堀外周の長斜坂)が国の史跡に追加指定される。<4月2日>
1952(昭和27)
五稜郭が国の特別史跡に指定される。<3月29日>
1985(昭和60)
五稜郭跡内の奉行所庁舎跡等の発掘調査を開始する(平成元年まで)。
「特別史跡五稜郭跡保存整備委員会」が発足する。
1991(平成3)
「特別史跡五稜郭跡保存整備基本計画」がつくられる。
2000(平成12)
「箱館奉行所復元構想」がつくられる。
2001(平成13)
「箱館奉行所復元計画」がつくられる。
2004(平成16)
「箱館奉行所復元基本設計」がつくられる。
2005(平成17)
「箱館奉行所復元実施設計」がつくられる。
2006(平成18)
箱館奉行所の復元工事に着工する。<7月8日>
2010(平成22)
箱館奉行所復元工事が完了し公開を開始する。<7月29日>

 

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